
志をもって仕事をしよう。すなわち、志事をしよう!という表現をつかうところもあります。志を立てよう、と聞くと格好良く聞こえるものです。
ですが、多くの人はこの「志」をしっかり説明できるかというと、そうでもなかったりします。あなたは「志」とはどういう意味ですか?と聞かれたらなんてお答えしますか。もし、企業、組織、団体で「志」というキーワードを使うのであればその企業や組織での「志」の定義を明確にするべきです。定義なくして志は成りえない。ただ、志を利益と結びつけてしまう定義やスローガンはナンセンスであると先人たちは言う。
ではその先人たちが言う「志」とはどのような定義なのか。それがタイトルにある「志とは立派な人間になろうとする意志」である。ということです。
こことばは論語、言志四録などを読めばこのように語られる。 「志」について孔子の弟子である子路は「馬車でも馬でも衣服でも何でも友人と分かち合い、もしそれらを駄目にされても怒らない人間になりたい」と語り、顔淵は「自分の善い行いに自惚れる事無く、そして人に苦労や嫌なことを押し付けない人間になりたい」と語る。
そして、師である孔子に言います。先生の「志」をぜひ聞かせてください、と。すると孔子は答えます。
「老者は之(これ)を安(やす)んじ、朋友(ほうゆう)は之を信じ、少者(しょうしゃ)は之を懐(なつ)けん」※訳:年配の方からは安心され、友人からは信頼され、目下の人からは慕われる人物になりたいね。
古典の先人たちの言葉や思想をまとめると「志」とは、人としての在り方を追求していくことです。ですから、立派な人間になろうとする意志表示になるのです。
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